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大阪高等裁判所 昭和62年(う)1019号 判決 1988年3月01日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一七〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人塚本誠一及び被告人本人それぞれ作成の各控訴趣意書に記載のとおり(弁護人は、被告人の控訴趣意は、本件証拠物の押収手続につき原判決には事実認定上の誤りがあつて、これを証拠に供した原審訴訟手続に法令違反がある旨を主張するものであると釈明した。)であるから、これらを引用する。

弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意について

弁護人の論旨は要するに、一 原判示第一の覚せい剤は、警察官が、被告人の同意がないのに不法な有形力を行使して、被告人を警察官派出所に連行した上、暴行を加えるなどしてその意思を制圧し、承諾のない所持品検査をした結果発見したものであつて、その押収手続には重大な違法があり、証拠能力がない、二 右覚せい剤の押収手続に関与した警察官の証言は、押収手続に違法がある以上、犯罪事実の証拠に供することはできないものである、三 原判示第二の覚せい剤使用の事実の証拠とされた被告人の尿の領置手続は、前記の違法な連行・逮捕に基づき発布された身体検査令状がなければ、尿を任意提出することもなかつたといい得るから、この手続にも重大な違法があり、尿の鑑定結果には証拠能力がない、といつて、これらに証拠能力を認めて被告人を有罪とした原判決には証拠収集手続に関する事実を誤認した結果、訴訟手続に関する法令に違反した違法がある、というのであり、被告人の論旨は、右弁護人の論旨一と同趣旨のものである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、原判決挙示の証拠によれば、所論指摘の証拠につきその証拠能力を認めた原判決の判断に誤りがあるとは認められず、原判決の事実は優に肯認することができる。

すなわち、これらの証拠によると、京都府山科警察署では、かねて覚せい剤密売所の容疑場所と把握していた京都市東山区<住所省略>メゾン○○二〇二号室A方ほか一ケ所に対する捜索を実施すべく、これらに対する捜索・差押許可状を準備した上、昭和六一年八月一四日午後六時ころから、警察官九名を同所付近に配置したが、同署巡査部長花田守、同橋本和法、同森某の三名の警察官は、同日午後七時二〇分ころから、メゾン○○を見通せる同建物付近路上において、いわゆる張り込みを実施していたこと、すると、同日午後七時四〇分ころ、メゾン○○の建物からAと被告人の両名が出てきたこと、Aについては、持つていた写真で同人であることが判明したので、森巡査部長において、直ちに近付いて職務質問を開始したが、被告人に対しても、密売の容疑場所のある建物からAと一緒に出てきたこと、被告人の頬のこけ方などから覚せい剤の常用者の疑いがあつたこと、持つていたセカンドバッグを胸に大事に抱えるようにしていたことなどから、覚せい剤の所持ないしは使用の嫌疑が濃厚であるとして、花田、橋本の両巡査部長において、職務質問を開始し、バッグの提示を求めたこと、これに対し被告人は「令状を持つてこい、令状を持つてこんかつたら見せへん。」と大声で叫ぶなどして所持品の提示を拒んだが、両巡査部長は、二、三分間にわたり、「なぜ見せられないのか。」などと言つて繰り返し提示するように説得したこと、そのうち「その中を見せてくれ。」と言つて、花田巡査部長がバッグに手をかけたのをきつかけにして、被告人がその場から逃げ出したこと、そこで、被告人に対する容疑をますます深めた両巡査部長は、被告人を追跡し、同所から約二七〇メートル(原判決が約三〇メートルと判示しているのは誤りである。)離れた同区東大路通り高台寺交差点内の車道上にいて、息を切らして急に立ち止まつた被告人に追い付いたこと、そして、同所は、車道の中で車が通行してきて危険であつたため、花田巡査部長が被告人の腕を、橋本巡査部長が被告人の肩を、それぞれつかんで、とりあえず緊急の処置として、被告人を歩道上に上げ、一〇数メートル離れた所に安井警察官派出所があつたで、同所まで被告人を任意同行すべく、被告人にその旨を告げて、同派出所まで被告人を同行したが、これに対し被告人は、無言ではあつたものの格別の抵抗はしなかつたこと、派出所に到着後、被告人を同所奥の椅子に着席させ、他の捜査員に同派出所に来るように連絡し、一五分から二〇分にわたつて被告人に対しバッグの中身を見せるように要求したが、これに対し、被告人は、なおも「令状を持つてこい、見たらあかん。」と繰り返し述べて、警察官の要求を拒否していたこと、同日午後八時二分ころになつて、他の捜査員六名が到着し、うち二名は、同様に逃走したAを追跡している森巡査部長の応援に出発しので、被告人に対する質問は、花田、橋本の両巡査部長と新たに加わつた四名の警察官とで行われたが、程なく被告人は、それまで手に持つていたバッグを机の上に放り投げ、「勝手に見いな、その代わり変なものが出てきても、警察の者が入れたのやから、わしは知らん。」と大声で述べたこと、そこで、警察官らは、被告人がバッグの中をみることを承諾したものと判断し、西田巡査において、「それなら見せてもらうぞ。」と言つてバッグを開けて中身を調べたところ、小型の金属製の容器が出てきて、その中から覚せい剤ようの粉末の入つた袋が三袋と注射器などが発見されたこと、そこで、同巡査が試薬検査を実施したところ、覚せい剤の反応があつたので、その旨を被告人に告げて、その場で被告人を逮捕し、右覚せい剤を押収したこと、その後、花田巡査部長らは、被告人をメゾン○○二〇二号室ほか一ケ所の捜索に立ち合わした後、午後一〇時ころ、山科警察署に連行したこと、翌一五日昼ころ、被告人が胸が痛いと訴えたので、警察官らは、被告人をなぎの辻病院と警察病院とに連れて行き、診断を受けさせたが、その診断結果は、なぎの辻病院のそれは胸部筋肉痛、警察病院のそれは異常がない、というものであつたこと、翌一六日、被告人が尿の任意提出に応じないので、警察官は、身体検査令状の発布を受けて、強制採尿を実施すべく被告人を警察病院に同行したが、被告人は、同病院の医師に説得されて、自ら採尿してこれを警察官に任意提出したこと、以上の事実が認められる。

所論は、逃げ出した被告人を追跡した花田巡査部長が、「止まれ、止まれ、止まらな射つぞ。」と言つて被告人を威嚇したこと、高台寺交差点で被告人に追い付いた橋本巡査部長は、被告人の左手をつかみ後ろにねじあげ、花田巡査部長は、被告人が左手に持つていたバッグを無理矢理取り上げ、被告人の右手をつかんで、承諾をしていないのに、二人がかりで被告人を派出所に連行したこと、派出所内において、花田巡査部長は、被告人から取り上げたバッグを机の上に置き、被告人の承諾がないのに、派出所勤務の巡査長に指示してバッグの中にけん銃が入つてるかどうかを調べさせたこと、応援の警察官が来てから後、被告人は、六ないし八畳の部屋で六人の警察官に取り囲まれて威圧された上、被告人が違法な取り扱いに腹を立てて花田巡査部長の腹をひじ打ちしたのを契機として、本部の刑事が被告人の顔を殴つて転倒させ、警察官の全員が一斉に殴る蹴るなどの暴行を加え、被告人が抵抗できない状態にあるのを利用して、西田巡査が勝手にバッグを捜索して覚せい剤を発見したことなどの事実があつたと主張している。

確かに、被告人は、原審並びに当審公判廷において、所論に沿う供述をしており、また、原審証人Bは、被告人が逮捕された当夜に山科警察署において被告人と同房になつたが、夜中に被告人が唸るような声を出したり、痛い、痛いと言つたりしたので、よく寝られなかつたこと、翌朝被告人から逮捕されたときに警察官に乱暴されたと聞いたとのことなど被告人の供述を裏付けるような証言をしている。しかしながら、被告人の供述によれば、六人くらいの警察官に殴られたり蹴られたりなどしたというのであり、B証言によれば、そのために夜中に唸るような声まであげたというのであるから、そのとおりとすれば、被告人の受けた暴行はかなり高度のものであつたといい得るから、被告人の身体に何らかのその痕跡が残つているはずであるのに、その翌日に二つの病院で受けた診察の結果は前記のとおりであつて、そのような暴行のあつたことを裏付けるに足るものではなく、被告人がその当日にもらつたというなぎの辻病院の診断書によつても、「両前胸部打撲傷の疑い」というものに過ぎないこと、B証言によれば、被告人から、「夜中に、道路の真ん中で、逮捕される際に乱暴された」と聞いたというのであるが、そうとすれば、被告人は、B証人に対し、暴行を受けた場所につき、その後の供述と異なる事実を述べていたことになることなどに徴すると、警察官から暴行を受けたという被告人の供述やこれに沿うB証言は疑わしいといわざるを得ない。また、被告人は、「派出所に連行される際、既に花田巡査部長にバッグを取り上げられており、同巡査部長は、派出所に到着した直後、同所勤務の巡査長に指示して、けん銃がはいつてるかどうかバッグを調べさせていた。」と供述している。しかしながら、仮に、被告人の言うとおりに、花田巡査部長がバッグを既に手にしていたとすれば、その重みや手ざわりで、わざわざ調べさせなくても、けん銃が入つているかどうかぐらいは分かるはずであるのに、けん銃の有無だけを調べさせたという被告人の供述には不自然な点がある上、少なくとも、同巡査部長らは、バッグを開披してその中を調べることについて、その後もかなりの時間をかけて被告人に対する説得を続けているのであるから、この事実に徴しても、その前にバッグを調べさせたということはやはり不自然であつて、そのような事実はなかつたものと認めるのが相当であり、この点においても、被告人の供述は疑わしいといわざるを得ない。

これに対し、花田、橋本の両巡査部長及び西田巡査は、原審公判廷において、いずれも、前記認定に沿う証言をしているのであるが、これら証言内容は、具体的かつ詳細であり、相互にほぼ一致しており、格別の不自然、不合理の点はなく、信用し得るものというべきである。所論は、それまで、かたくなにバッグの開披を拒否していた被告人が、応援の警察官が来たということだけで、その後間もなくこれを承諾したということは、それまでの被告人の拒否の態度や、その後においても、尿の提出を拒否する態度に出ていることなどに照らし、甚だ不自然であり、暴行の事実を否定し、被告人の承諾を得てバッグを開披したという右警察官らの証言は信用できない、と主張している。確かに、それまでの被告人の拒否の態度は強固であつたと認められるが、取調官の人数が増えたことなどのために、もはや逃れられないものと観念して、バッグの開披を承諾することは、あり得ることであつて、特に不自然であるとは考えられず、また、被告人が尿の提出を拒否したことも、覚せい剤の使用という新たな事実の発覚をおそれたためと理解し得るのであつて、そのことのゆえに、直ちにバッグの開披を承諾していなかつたとはいい難く、その他、所論指摘の諸点にかんがみ警察官らの証言内容を検討しても、その信用性を疑うべき事情は見いだし難い。被告人の原審並びに当審公判廷における供述並びに前記B証人の証言は、これら警察官の証言に照らしても信用し難いといわざるを得ない。

右にみたように、本件覚せい剤は、前記認定の経過で押収されたと認めるべきである。そこで、更にすすんで、これらの事実を前提として、押収手続の適否について判断することにする。

前記認定のように、本件覚せい剤は、花田、橋本の両巡査部長が、職務質問中に逃げ出した被告人を、約二七〇メートルにわたつて追跡し、停止した被告人に追い付くや、それぞれが肩と腕とをつかんで、一〇数メートル離れた警察官派出所に同行し、二〇分前後にもわたつて説得を続けた末、ようやく被告人の承諾を得て、被告人の所持したバッグを開披した結果、発見され押収された、との経過をたどつている。

そこで、その適否につき案ずるに、職務質問ないしこれに付随する所持品検査は、それが犯罪の捜査として行われる場合であつても、任意手段であることに変わりはないが、任意捜査においても、有形力の行使が全く許されないわけではなく、強制手段、すなわち個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段にわたらない限り、必要性、緊急性などをも考慮した上、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される、と解すべきものである(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)。これを本件についてみると、花田、橋本の両巡査部長は、被告人が、覚せい剤密売所の容疑場所とされていたマンションから、容疑者とされていたAと一緒に出てきたこと、被告人の容貌から覚せい剤の使用の事実がうかがわれたこと、セカンドバッグを大事に抱えていたことなどから、被告人に覚せい剤の所持ないし使用の嫌疑を抱き、職務質問を開始したというのであつて、Aに対する容疑が捜索令状の発布を受け得る程度に具体化していたことなどに徴すると、当時の被告人につき覚せい剤の所持ないし使用の罪を犯したと疑うに足りる正当な理由があつたと認めるのが相当であり、同巡査部長らが被告人に対し職務質問を開始したことについては、特に問題はなく、適法である。次に、一、二分の説得の後、花田巡査部長が「その中を見せてくれ。」と言つてバッグに手をかけた行為も、同人の証言によれば、それを取り上げようとしたのではなく、見せてほしいという仕草としてした、というのであるから、質問に付随する行為として適法である。更に、同巡査部長らは、逃げ出した被告人を約二七〇メートルにわたり追跡しているが、この行為も、職務質問を続行するための行為として許されるものと解すべきである。次いで、同巡査部長らが、交差点内の車道上に立ち止まつた被告人に追い付いて後、その肩と腕をつかんで、歩道上に連れて行つた上、一〇数メートル離れた警察官派出所に同行している点については、確かに、有形力を行使するなど逮捕に類する外形をとつているが、歩道上に連れて行つた行為については、犯罪の嫌疑が相当に濃厚であつたことの他、追い付いた場所が車道上で車が通行しており、その場にとどまつたり、更に、質問を続行するために追跡することは危険であつたことなどに徴すると、右の程度の有形力の行使は、上記の判断基準に照らし、任意手段としての職務質問において許容される限度内の行為というべきであり、また、その後被告人を警察官派出所に同行したことについては、被告人にその旨を告げており、これに対し、被告人の明示の承諾は得ていないものの、黙示の承諾があつたとみ得る状況でこれがなされているのであるから、この点についても違法と評すべきではない、と解される。そして、同派出所内において、バッグを開披するに当たつては、二〇分前後にも及ぶ説得の後であるとはいえ、被告人の承諾を得ていることは前に認定のとおりであるから、これが適法であることはいうまでもなく、その後、試薬検査の結果、覚せい剤であることが判明し、被告人を覚せい剤所持の現行犯として逮捕した際、本件証拠物が押収されているのであるから、その押収手続に違法な点はないというべきである。

右にみたように、本件証拠物の押収手続及びそれに先立つ職務質問、任意同行、現行犯逮捕手続には違法はないから、それが違法であることを前提とするその余の所論は、前提を欠き採用することができない。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決には所論の誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。

弁護人の控訴趣意第二について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するものであつて、被告人を懲役一年八月に処した原判決の刑は重過ぎ、また、未決勾留日数中一四〇日のみを本刑に算入したに過ぎない原判決の裁量には誤りがあつて、量刑不当をもたらしている、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、本件は、覚せい剤結晶粉末約1.024グラムの所持及び覚せい剤若干量の自己使用一回の事案であつて、確かに、所持にかかる覚せい剤の分量は少ないが、これら犯行の罪質、態様の他、被告人の前科、前歴、殊に、被告人には、本件犯行まで、原判示の累犯前科を含め、徴役刑に処せられた前科が四回もあり、うち二回は本件と同種の覚せい剤の事犯又はこれを含む事犯であることなどに徴すると、被告人の犯情には軽視を許されないものがあるというべきであつて、被告人が当審に至り犯罪事実を認めて反省の態度を示していることなど酌むべき事情を十分しんしゃくしても、原判決が被告人に科した懲役一年八月の刑は、やむを得ないところであつて、重過ぎるとは考えられない。また、未決勾留日数の本刑への算入については、被告人は、昭和六一年八月一七日に原判示第一の事実で勾留され、同年九月五日に同事実で勾留のまま公訴提起され、同六二年七月三日に判決の言い渡しを受けているので、起訴後の未決勾留の総日数は三〇一日であり、起訴前のそれをも含めると、三二〇日となるが、被告人は、その間の同六一年九月二四日から同年一二月二三日まで、道路交通法違反による懲役三月の刑の執行を受けているので、本件において本刑に算入し得る未決勾留日数は、起訴後のそれは二一〇日それに起訴前の日数を含めると二二九日になり、原判決は、そのうち一四〇日を本刑に算入しているので、七〇日ないし八九日を審理に必要であつた日数として控除した趣旨と解されるところ、本件事案の内容及び争点に加えて、被告人に対しては同年九月三〇日に原判示第二の事実につき追起訴がなされていること、原審は、本件の判決言い渡しまで一〇回もの公判を開き、その間、六名の証人調べを実施していることなど本件訴訟の審理の経過及びその状況をも勘案すると、上記の日数を控除した上、一四〇日のみを本刑に算入することとした原判決には所論の裁量の誤りはなく、量刑の不当をもたらしているものとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟三九六条、刑法二一条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾鼻輝次 裁判官岡次郎 裁判官森下康弘)

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